これはイギリスのユースワーカーや研究者で構成される民間団体In Defence of Youth Work(ユースワークを守る)が、全国組織の労働組合(UNISON とUNITE)の協力を得て、2012年に刊行した『This is Youth Work(これがユースワークだ)』に掲載された「‘On the boundary’: Three years of detached work with a group of young women」(15ページ)の本研究会による日本語訳です。
同書には12のユースワークストーリーが掲載されていますが、それらは「Storytelling Workshop」を重ねながら作成されたもので、特定の事実そのものではありませんが、複数の事実をもとに作られています。
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これは、当人たち同士の関係も、親たちとの関係も、もつれた状態にある6人の女性若者グループと、彼女らの生活に少しでも安定を取り戻そうとしたユースワークの取り組みである。当初そのグループでは、お互いへの脅しや攻撃的反応で状況を解決する傾向にあり、特にアルコール依存の傾向が見られる2人がその中心だった。彼女たちの言動は隣近所にも騒動を引き起こし、結果として自分たち自身を傷つけるとともに地域に広く深刻な問題を招いていた。
街のたまり場に出向く出張型ユースワークのチームがグループへの関わりを始めたが、それは文字どおり苦闘だった。しかし彼女らの“縄張り”に出かけ、グループとしての彼女たちをそのまま受けとめ、関わる中で、会話が生まれ始めた。そして、彼女らの興味、強みや、ニーズが浮かび上がってきた。なかでも一人のメンバーとはしっかりと対話が交わされ、全員に共通していたのは、自分たちの関係を良くしていきたいという思いだった。自分たちから会おうと約束したときには、彼女たちは約束通りに現れ、連絡もしてきた。
出張型ユースワークのメンバーが接触し続ける中で、ワーカーが彼女らを認めていることや、何か支援したいと思っていることなどを伝える機会が広がってきた。一人から、女性が参加できるサッカーチームがないか尋ねられたときには、見つけてきた。ワーカーは彼女たちと会うときには、いつでもどこでも、一貫して同じ姿勢で関わり続けた。その結果、ついに、彼女たちが集まる場としてユースセンターを提供することになった。それは、どこか暖かくて安全な、集まるのにいい場所がほしいという、ほかならぬ彼女たちからの要求に応えてだった。
彼女たちは、既存の活動やグループに加わるようにとは言われなかったので、自分たちのグループでセンターを利用することができた。それから徐々に、彼女たちはワーカーが自分たちのために「時間」を割くことを求めるようになった。性に関すること、麻薬や飲酒についてのプログラムなどをやりたいと求めてきた。彼女たちがユースセンターを利用することは、他の若者たちからは好ましく思われていなかったが、グループとして活動し友情を深めることが、自分たち自身の権利に目を向けることに繋がり、時を経るとともにグループの関係性は変化していった。彼女たちは互いに打ち解け、話し、聞くようになり、互いを尊重して振る舞うようになっていった。
彼女たちは、プログラムについても、プログラムの内容そのものより、ワーカーたちと過ごす時間を大事にしていると感じられるようになった。時に彼女らとワーカーとの関係は、ユースワークという専門的仕事上の関係を超えた私的なものにはみ出ていくこともあった。例えば、休日のボクシングデー(1)に、彼女たちの一人がワーカーに電話をかけ、やって来たことがある。彼女にはワーカーが助けを求められる唯一の人に思えていた。この出来事はユースワーカーに二つの問いを示している。一つは、意味ある活動としてのユースワークをめざすとき、どれほど多くの出来事が境界線上で起こるかということ、もう一つは、ユースワークは、単なる「仕事」という以上に一歩先に踏み込まざるを得ず、いつでも開かれていて、常に動いており、終わりがないものだということである。
このケースは、少人数グループを通していかにユースワークを発展していけるか示唆していた。しかしながら、小さなグループのみを単位とすることには批判的なワーカーたちもいた。取組みは自治体のサービス枠組みに簡単に適合するものではなく、また、6人の若者にこれだけの労力を割くのは費用効率が悪いと、ユースセンターの管理職からは見られていた。ある時ついにプロジェクトマネージャーが「今日をもって」と、プログラムを終了させた時、ワーカーは6人を別のNEETプログラムに登録させ、引き続き路上で彼女たちとの活動を続けた。ただそのプログラムも公認の評価基準では1期だけで打ち切りとなったため、ワーカーたちは更に他の管理と評価のプレッシャーに抵抗せざるを得なかった。3年の間、ワーカーたちはこのユースワークの必要性を認めさせるために、資金調達に奔走し、ある助成金から次の資金獲得枠組みへとこのグループをつないでいった。
取り組みは決して一筋縄でいかなかった。グループの一人は、NEETプログラムや他のイベントには若すぎるという理由で加わることができず、別のメンバーは保護観察処分を科せられ、その後、保護処分収監もされた。それでも彼女は、その間ずっとユースセンターとの良い関係を保っていた。
3年を超える年月の間に、彼女たちは自分が直面するプレッシャーへの向き合い方を変化させていった。ゴミ拾いを始め、ガーデニングのプログラムや苗木のプロジェクトを始めた。そしてそのプロセスで、地域の教区委員や警察を含む周りからの彼女らへの否定的な見方も変わっていった。彼女らは地元自治体の若者フォーラム に加わり、他の若者とともに自分たちが直面する問題をどのように捉えるか調べながら、ついにはユースセンターの顔となっていった。彼女たちと他の若者たちは、活動のための多額の資金調達に成功し、グループは地域に貢献する若者に与えられる賞を獲得した。
取り組みの過程で、彼女たちの自分たち自身への見方も変化していった。もはや自分たちを「人間のくず」と捉えることはなくなった。以前のように不安からお互いのつながりを頼ることが少なくなり、やりたいことを実現するために、それぞれ自分の力で努力することに自信を持つようになった。ある少女は自分の夢を追うために地域を去る決心をした。また他の二人はユースワーカーになる道を歩み始め、その一人は若者の主張代表に指名されるまでになった。ワーカーはまた、彼女たちとの関係のなかで築き上げられた信頼をもとに、彼女たちに、時には個人的なやり方で関わりを持つこともあった。例えば彼女たちの一人が、準備不十分のまま進学を考えていた際、ワーカーの一人は非常に正直な言い方で、まだ早いと、より多くの経験と資格を得てから、挑戦するようにアドバイスし、別の機会を目指すよう促したのだった。
注
(1) ボクシングデー:クリスマス翌日の12月26日。イギリスなどでは一般に12月25日のクリスマスから1月5日までの間はクリスマス休暇期間とされており、ユースセンターなども休みになる。