これはイギリスのユースワーカーや研究者で構成される民間団体In Defence of Youth Work(ユースワークを守る)が、全国組織の労働組合(UNISON とUNITE)の協力を得て、2012年に刊行した『This is Youth Work(これがユースワークだ)』に掲載された「Pen and paper youth work」(20ページ)の本研究会による日本語訳です。
同書には12のユースワークストーリーが掲載されていますが、それらは「Storytelling Workshop」を重ねながら作成されたもので、特定の事実そのものではありませんが、複数の事実をもとに作られています。
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アンは15歳だった。その晩、彼女は友だちとほとんど話もせず、ふさぎこんでいるようだった。何かあったことは確かだが、アンは肩をすくめるだけで、何も話したくないようだった。ユースワーカーのグレイスも、その話題に触れられず、声をかけても無視された。
グレイスはアンの隣に座ることを試みた。そして、おしゃべりではなく、紙きれに「大丈夫?」とメモを書いて渡した。すると、アンは返事を書いて戻してくれた。そこには、気分は落ち込んでいること、家でうまくいっていないこと、いろいろ抱え込んでいることなどが書かれていた。そしてノートの最後には、悲しい顔文字☹が書き込まれていた。
紙きれに書かれた断片的なメモのやりとりを通じて、アンは自分が抱えている問題を打ち明けるようになった。それでも、はい/いいえで答えられない質問をすると、無視した。というのも、こうした質問は、とても失礼で、自分の知性を侮辱するものだとアンは思っていたからだ。アンが抱えている問題はあまりに大きく、到底すぐに明らかにすることはできないものだった。
紙きれに書かれたメモの交換は、精神的にも肉体的にも大変だったが、小さなやり取りによって、アンとグレイスの信頼関係がつくられていった。グレイスは、アンのことを気にかけていることを伝え、ユースワーカーとしてだけでなく、自分も子どもを持つ親として彼女に関わった。
親でもあるということは、グレイスにとって、アンに何が起こっているのかを理解する助けになっていた。ようやく、アンと両親との関係がこじれていることがわかってきた。グレイスがアンに答えたことの一つは、自分も母親として常に正しい判断ができるとは限らないということだった。
メモでの交換を続けているうち、他の悩み事も出てきた。ボーイフレンドを作らなきゃというプレッシャー、そしてアンがアン自身をどう感じているかということ。それらは二人の間で、言葉を交わすことなく、メモのやりとりだけで行われた。その晩の最後に、グレイスはアンに「調子はどう?」と書いて尋ねた。すると彼女は、開始当初の悲しい顔ではなく、少し落ち着いた顔文字を書いてくれた。
二人のやりとりはこれっきりだった。ときどきアンはセンターに来ていたが、しまいには来なくなり、そして連絡は途絶えた。
数年後、アンはグレイスを街中で見かけた。アンは笑顔で近づいてきて、グレイスやセンターの様子をたずねた。アンは大学に行っており、勉強を楽しんでいるという。「メモのこと、覚えている?」とグレイスにたずね、グレイスは「もちろん覚えている」と答えた。アンは少し考えてから、グレイスをまっすぐ見つめて言った。
「あの夜はとても落ち込んでいて、自分で自分を傷つけることを考えていたわ。でも、あの<会話>がそれを止めてくれたの。」
そしてアンは、「ありがとう、またね」と言って別れた。
おわり